こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。
ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。
第6回は自己紹介の続き、「女子野球との出会い」です。
女子硬式日本代表のセレクションにエントリー!
高校球児になる!と決意表明した私は、私を受け入れてもらえる高校を父に探してもらいつつ、勉強に、野球にと、残り少なくなった中学生生活を過ごしていました。
そんなある日のことです。またしても、父が1枚の紙を持ってきました。そこにあったのは、「女子硬式野球日本代表セレクション」の文字。
父が言います。
「安祐美、これを受けてみないか? お前の伸び切った鼻をへし折ってもらえ」
日本代表? なにそれ? という感じです。そもそも、自分の鼻が伸びていたとは思っていませんでしたし…。笑
それでも、興味をひかれたのは「全国の野球をやっている女の子たちと会えるんだ! 一緒に野球できるんだ!」というところでした。
「受けたい!」と父に告げ、中学3年の12月、東京・駒沢大学のグラウンドで行われる女子野球日本代表のセレクションにエントリーしたのです。
勢いよく「受けたい!」と宣言したものの、それまで学校の部活がすべてだった私にとって、野球は「軟式」。セレクションの受験が決まってから、硬式球に慣れるための「一夜漬け」ともいえる練習が始まりました。 ノックを受けたとき、ボールが跳ねないことに驚きました。ボールは跳ねない、グラブは上からいかない、下から下から…。
そんなことを自分に言い聞かせながら、ノック受けていた時のことです。 イレギュラーバウンドへの反応が遅れ、そのボールは私の左鎖骨へコツン! 見る見るうちに、鎖骨あたりがポッコリと腫れていきます。 ですが、当時から、私の中で野球をする上でのルールがあって。 恐怖心は持ちたくない。持たないためにも、顔であろうがどこであろうが、ボールが当たった時は治療の前に必ず、もう一球受ける!でした。なので痛かったけど、もう一球ノック打ってもらい、恐怖心を持たないようにしたことを覚えています。 鎖骨のほかにも、顔に当たったこともあったし、口を切ったこともあったし、いろんなところでボール捕ったなぁ…笑
元気いっぱいが片岡安祐美の野球なのです

セレクションには、全国から約140人の選手が集まっていました。年齢層もバラバラな、野球やソフトボールをやっている女子選手たちです。もうそれだけで、私はうれしくてたまりません。
中学校で学んだ元気のある野球のおかげで、もはや私に恥ずかしさなどありません。目立ってなんぼ!です。知らない選手ばかりだけど、ひとり大きな声でグラウンドにあいさつして入り、ひとり大声を出してアップしていました。
すると、そんな私の様子を面白いと思ってくれたのか、初対面の選手が私の真似をして一緒にアップしてくれたり、キャッチボールしよう!と声をかけてくれたり。
ノック中も大きな声を出し、バッティングでは小学生からのルーティンどおり、ピッチャーに対して「さぁ来い!」と叫び、気合を入れて打席に入ります。
私の中ではテストというよりも、ただひたすら、たくさんの女子選手と野球ができる!うれしい!楽しい!という思いだったのです。
テストが終わると、父がなんだか慌ただしくしていました。関係者の方に呼ばれたり、電話で話したり…。
どうしたんだろう?と思いつつ合格発表を待つと…まさかの合格です!
当時、女子硬式野球日本代表の監督をされていた、元日本ハムの広瀬哲朗さんの目に留まったようです。「この子は元気が良い!」と。現役時代の広瀬さんも、ヘッドスライディングや元気いっぱいのハッスルプレーでファンを魅了されていた方でしたから、そこを気に入ってもらえたのでしょう。
なんにせよ「合格」です。
私はただただ、「世界中の女子野球選手たちと野球ができるんだ!うれしい!楽しみ!」と、喜んでいるばかりでした。
女子野球の世界へ、第一歩

合格発表後、14人の合格者は控室に集められ、今後の説明を受けました。
アメリカで世界選手権が行われること、大会までのスケジュール、代表としての心得など…。私はこれからどんな世界が待っているかもわからず、ただワクワクした気持ちで、話を聞いていたことを覚えています。
そして、父を見て思っていたのです。お父さんは何をそんなに慌てているんだろう、こんなにうれしいことなのに…。
今思えば、父はそのとき、私のこれからについて、連盟の方々に話を聞いてもらっていたのだと思います。
娘は高校に入り、男子選手に交じって甲子園を目指したいと言っていますが、可能でしょうか? まして、日本代表と二足のわらじで野球を続けることができるのでしょうか? そんなことを聞いていたのでしょう。
何事も頭ごなしにダメとは言わず、娘の本気度を確かめ、可能な方法を探してくれていた父。そして、そっと背中を押してくれていた母。両親には感謝しかありません。
が、当時の私は、そんな両親の気持ちはどこ吹く風…。「親の心子知らず」とは、こういうことをいうのでしょう。
今は自分もひとりの親として、両親のようでありたい、そうなりたいと思っていますが、はたして自分にできるのか…。
あとは卒業後の進路、なのですが…
熊本に帰って学校に報告し、日本代表としてもプレーすることが決まった、中3の12月。あとは進路だけです。
どの高校に入学して野球を続けるか、いや、どこに入れば続けさせてもらえるのか。
学校、部活、塾の日々です。
父は、いくつかの学校と話をさせてもらっていたようです。高校野球の経験がある父だからこそ、「安祐美はちゃんと野球をさせてもらえるのか、ちゃんと選手として見てもらえるのか」を最優先に考えてくれていたそうです。
そんな時でした。のちに私の母校となる熊本県立熊本商業高校の野球部の監督さんとお会いし、お話を聞いてもらえることになったのです。
…今回はここまで。次回、ようやく高校球児・片岡の誕生です!!